お母さんからのお便り

安松幼稚園の雰囲気が
よくおわかりいただけると思います

記事カテゴリ:教育そのものについて考える

平成22年7月20日
教育は型・基本が大切
年少りす組 松村悠子

理事長先生へ
 はやいもので、今日で1学期が終わろうとしています。
娘が入園し今日まで、私自身が親として子供との関わり方を、先生方を通して沢山教えて頂きました。

 特に、先日参観後の懇談会での理事長先生のお話~教育とは一つの型を次の世代に伝えること:教育は強制から始まる~は、私が園の教育方針を理解するのに役立ち、又自分の考え方がまさに「児童中心主義」であったと気付かされました。
娘が女王様である理由が、これで判明してしまったわけです。
  ※<1>

 お話の終了後、拍手をしようと構えていたにも拘わらず、周囲の雰囲気に負け、下を向いてしまったことを どうかお許し下さいませ。
園児用の長椅子に座っていなければ、立って拍手出来たのにとも思っています。
(理事長注:次回には是非お願いします:笑)

 先生の半年間の(大学での)講義には、教育の歴史から始まり、レジメが用意され、様々な例が飛び出していたのでしょう……。
 今回の講演での集約された話の中でも、私は特に「型」が教育の強制に当てはまってしまう!! ←勝手にそのように受け止めましたがよろしいでしょうか?  ※<2>
ということに驚き、又今まで私が受けた教育の強制の少なさを嘆きたくもなりました。

 私事ですが、幼少の頃より箏(琴)を続けています。
ですが、若い頃に約数年間、レッスンを受けずに自己流で練習しプロになったつもりの時期がありました。しかし基本を未習得であった為、伸び悩み、いわゆる『型』の大切さに気付き、尊敬する先生の門下に入りました。
 自己流スタイルも一時的に楽しいものでしたが、「型」を伴わない私は『女王様』状態と言えます。そのスタイルはレッスンを再開して、根底から覆されてしまったのです。
それから10年、遅まきながら型を習得しつつあり、本当の音を楽しめるようになりました。

 このことから、『型』の必要性を個人的に感じています。
そして、私が娘を女王様にしてしまっているのは、子供との関わり方、育て方に原因があると素直に受け止められるようになりました。
 それは先生方の園児に接する態度を見ていて、そして園児達が先生を見る目から感じました。
もちろん今はまだ強制的に感じるけれど、それが教育の在り方であるという理念に基づいた『強制』だったのですね。  ※<3>

 まず親の考え方が変わらなければ、女王様のままであるということ……。
子どもを教育する以前に、家庭での過ごし方を見直さなくてはならないですね。その上で、幼稚園での教育が……強制が活かされるとやっと分かりました。
懇談会の度、先生が準備して下さるプリントやお話があったお陰です。

 まだ私はそれに気付いた段階にいます。
この夏休み、じっくり娘と接して模索していこうと思います。
今後もご指導頂きたく、先生の引率力や懇談会を楽しみにしています。

 最後に「強制」にかわる何かいい表現がないか辞書を引きました。

 和英英和
強制 → <1>Compulsion      →      しないではいられない
<2>Coercion      →      強要、威圧    とありました。

<2>を使えば、

教育は 強要することから始まる は、いかがでしょうか
教育は 型にはめること
教育は 基本を身につけること とも言えるかもしれません。

強制(和英)→<1>Compulsion(英和)→ しないではいられない
<2>Coercion →強要、威圧 とありました。
<2>を使えば、
教育は 強要することから始まる は、いかがでしょうか
教育は 型にはめること
教育は 基本を身につけること とも言えるかもしれません。


 長文、乱筆をお読み下さり、ありがとうございました。
夏本番、どうぞお体ご自愛下さいませ。

理事長注:
 7月2日の授業参観後、約280名の保護者の方に、45分ほどの“話(講演)”をしました。
それに対するお手紙を数通頂いたのですが、ここに、松村さんからのお便りを掲載しました
演題は、教育とは、一つの型を次の世代に伝えること 
―――教育は強制から始まる―――  でした。
以下、上のお便り中の疑問に答え、若干の補いを記します。

※<1> 児童中心主義について
私は、あの講演では、二つの意味で用いました。

一つは、「はれ物に触るような保護主義」つまり「子供の意向を第一にする子育て」です。 各家庭で、あまりにも子供中心の、子供の言いなりの子育てが横行しています。
ここからは、お手紙にもありましたように、各家庭に、多くの女王様・王様が誕生します。

もう一つは、デューイの進歩主義教育思想の強い影響を受けたロジャースの非指示的な心理療法。
カウンセリングにおいても、非指示的という意味を取り違えた放任主義が、教育荒廃に拍車をかけました。神戸の小学生を殺した中学生の親に対して、「ストレスがたまっているから自由にさせなさい」と言い、家庭内暴力を振るう高校生の父親に対して、「子供の要求をすべて受け入れ、無抵抗でいなさい」という方向でのアドバイス。ここには、子供と真剣にかかわろうという姿勢が全くありません。
これら上記2点は、根底においては「子供の言いなり」ということで、同じ根であることは言うまでもありません。


※<2> 型を教えることも、強制の一つです。
 あなたの解釈に間違いはありません。
型を教える(基本を教える)ことは、強制から始まります。私は型(基本)を教えることは、幾多の強制の中でも、とても大切な項目であると考えています。
 教育は、特に幼児期から義務教育にかけては、強制を伴うものです。(ただその強制には強弱があり、各個人が強制されているという意識を持たない場合も多いですが……)
6歳から小学校に行かなくてはならないというのも、強制そのものです。
例えば、「おはようございます」「さようなら」「お大事に」などの日常の挨拶も、周りの人がしているのを見て自然に真似るようになるか、それとも、親や先生からある段階でその道理をきちっと教えられるかという、強制の強弱の違いはあっても、人間はそういう強制の中で、人としての軌道に乗って行きます。
幼稚園児の歌にしても、小中学校での漢字や九九の指導にしても、中学校での色々な教科指導にしても全て強制から入っていきます。しかし年齢が長じるにつれ、興味を持ち自主的に学びや研究を続けていくという事が起こり、いつまでも強制が続くというわけではありませんので、念のため。
 もっとも、教育は強制であっても、教材の導入の仕方は、教え込むのではなく、子供の発達段階に応じて、子供から引き出す手法をとることは、とっても重要な事です。

理事長エッセイ:
平成22年3月
教育の真髄は「子供に教える」のではなく「子供から引き出す」ことにある
平成22年7月
先生の熱い心が子供に伝わって

――教育とは子供の心を震わせ豊かな感性とやる気を引き出すこと――
も、是非、お読みください。

※<3> 先生と園児、親と子供の関係
 一言で言うと、先生と生徒が、そして親と子が、友達の関係になっては、指導や教育はできません。
友達の関係にならないと心が通じあわないというわけでは、全くありません。
自分のことを心から願い指導してくれる親や先生に対して、子供は心を開き、その権威に対して敬いの心を持ちます。
ここを離れて、子育てや教育はあり得ません。
 川嶋優さんは先生の姿勢について、「子供と同じ目線に立つのは友達です。子供の心を理解するために、たまにはしゃがんで目線を同じにしてもいいでしょう。しかしあとはすくっと立って、立派な先生にならなくてはなりません。そうしなければ、お給料をもらう資格はありません。」
この視点は、親に言い換えても通じることだと思います。
ここでは、強制という言葉を、凛とした姿勢に置き換えてもいいと思います。
 教育には、凛とした姿勢が必要です。

7月2日の私の講演に対してかなりの反響がありました。
その中の一つである松村さんのお便りは、私の講演趣旨をしっかりととらえて下さり、質問等もありましたので、私の考えを簡単にまとめ応えました。
現在の日本で、「個性という言葉は善」 「強制という言葉は悪」 というような風潮の中で、私は教育における型・基本・強制の問題は、現在の日本の教育荒廃を解決する大きな道筋だとも考えています。近い機会にまとめたく思っています。

理事長エッセイ:
平成22年1月   混迷の日本 混迷の日本・逝きし世の面影(No.1)
混迷の日本・教育について考える(No.2) にも
強制について少し触れています。是非お読み下さい。

平成22年7月
親の責任と幼稚園へのゆるぎなき信頼

最初に
この1学期に、ある園児の御祖父さんから、数回、筆によって書かれた丁寧なお手紙を頂きました。延べ14枚にもなりますので全てをup出来ませんが、子育て・日本の今後に憂いを持ちながら、愛情に裏打ちされた示唆に富む内容でした。
ある方にとっては厳しい文もありましたが、愛情や心配の心から出たお互いを思っての内容ですので、そういう気持ちでお読み頂けたらと願っています。
私のまとめ方のまずさから真意をとり違われる恐れを心配しつつも、出来る限り原文でまとめました。

(理事長:安井俊明)


……少し略……
お誕生会では、引っ込み思案の孫も大きな声で発表が出来るようになり、当日はその歌声に震えが来る程感動し、涙しながら聴き惚れておりました。
……少し略……
その後の音楽会にも参加させて頂き、孫が一生懸命に大きく口を開け、先生の目を追いながら歌っている姿に感動致しました。
丁度、今年の入園式の時、座る席をめぐって親に無理を言っている園児、教室に入っても落ち着かず歩きまわり先生を困らせていた園児も、当日はしっかりと整列して歌っていました。
入園式の時の状況は、幼稚園の先生に躾を丸投げせず、もう少し親が躾をするべきだろうと怒りさえ覚えた程でした。
そんな園児を僅か三ヶ月でここまで育てられた先生に敬意を表したい気持ちです。
お誕生会の際、理事長先生から頂いた一枚のプリント(理事長注:H22.1の理事長エッセイ:混迷の日本・教育について考える No.1 & No.2)を思い出します。
それは「当節の若者のひ弱さ、小中学校の学級崩壊、子供の躾、親の責任、子供への接し方」等でした。
入園式を見た私は、このようなプリントを父兄全員に渡されてはどうかと思った次第です。
音楽会への参加スタイルも変わってきたように思います。……少し略……行く場所目的によって衣装も変わるもの、正装しなくてもよいけれど、ある程度きちっとした服装は、子供が晴れ舞台に立つ、その場に向かう気持ちの表れとして、また先生方への感謝の気持ちと頑張る子供に対する礼儀だと思いますが? やはり私が古い人間なのかも?
子供の教育を言うよりは、親の躾が必要かとも思った次第です。
その意味で、理事長先生のプリントは大きな意味があるように思います。
先生も必死なら、親はもっと真剣に子供や先生に接するべきだと思います。それが現実、
それが今の世の中と思うと、この先が心配になります。
折角、幼稚園で教えて貰った礼儀作法、人としての優しさ・思いやりの心も、卒園後、親によって壊されないかと心配するのは私だけでしょうか?
園児が卒園した後も、時々には、安松幼稚園のホームページの理事長先生のエッセイを読むのも、その後の子供の教育に良いのではとないかと思った次第です。
……少し略……
既に卒園した孫も、幼稚園で、我慢すること・すぐにあきらめない事を教えて頂いている事を知り、私自身が勉強した次第です。
……少し略……
入園式で先生を困らせていた園児もしっかりと整列して一生懸命に歌い、また孫も先生の目を追いかけながら大きな口を開けて歌っておりました。
我が子一人の教育でも大変な中、さぞ先生はご苦労をされた事だと、その事を思うだけで涙が出ました。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
安松幼稚園は普通の幼稚園ではないと以前にも申しましたが、先ずは理事長先生がその道のプロであり、園長先生のしっかりとした教育方針を受けられた先生方が……少し略……安松幼稚園の教育を受けられる園児は、そして親御さんは誠に幸せだと思う。
教育委員会も一律の補助ではなく、その中身によって評価するシステムがあっても良いのではないかとさえ思います。
……少し略……
世の中の間違った「個性重視・個性を伸ばす」の言葉に惑わされることなく、現在の方針を貫いて頂きたく思います。プリント(理事長注:7月2日の授業参観後の講演で配布)誠に有難うございます。プリントにありました、子供の実態・発達段階の上に組み立てられた教育、児童中心主義に引きずられることなく基本や型を大切にする教育に、私自身も大いに賛同いたします。
子供の教育は、先ずは親が手本を示すこと。そして安松幼稚園の様に、良い事はしっかりと褒め、悪い事は人前でもしっかりと叱る事、そういう理を小さい頃から身につけさせる事が将来の日本を背負うためにも誠に大事な事だと思います。その意味でも安松幼稚園の教育方針は素晴らしいと思います。
しかし卒園後の教育、特に公立の小学校・中学校・高校での教育が、誠に心配だと思うのは私だけでしょうか。
理事長先生にはお忙しいとは存じますが、出来れば幅広く、教育委員会や公立の学校での講演をお願い致したく思います。
以上、取り急ぎ御礼申し上げます。

理事長注:
かなり省略しましたが、大きな趣旨はまとめ得たかなぁと思います。皆さんそれぞれに、
感じ考えられるよい機会になると思います。