理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成22年3月
理事長 安井俊明
教育の真髄は「子供に教える」のではなく
「子供から引き出す」ことにある
―― 世間でいうゆとり教育なんて糞喰らえ ――

 卒園・進級おめでとうございます。
年少さん、入園から1年が経ち、しっかりと自分の気持ちを表現出来るようになりました。
 年中さんはいよいよ憧れの年長さんになるべく、自分自身に対する誇りと自信が育ってきました。
 年長さんは、安松魂をしっかりと身に付けてたいしたものです。
2月の最後の授業参観時に、あるお母さんから「子供の『安松幼稚園の年長さんは忙しんやで』との発言に大笑いとなりました」との話がありました。

世間でいう“ゆとり教育”なんて糞喰らえ

この1年間、安松幼稚園では、年長さんに

人としての優しさや勇気

俳句などの日本の文化

吉田松陰先生の言葉や論語などの古典

唱歌・童謡コンサートの練習と本番の舞台への出演

一作品に10時間以上を必要とする作品展でのちぎり絵

末広公園での持久走   等々

安松幼稚園が幼児期に大切と考える科目に、そしてそれらは人間の骨太な面の育成にすべて繋がっていくのですが、十二分に触れさせ、子供達の感性・情操・精神力・体力を引き出してきました。
 私は常々、「教育とは子供の魂を震わせ、現段階では隠されてはいるが、子供が本来もっている能力を引き出すことにある」と考えています。
 古典においても、その意味を理解し楽しみながら学んでいく姿
 意欲的に取り組む末広公園での持久走
 コンサートで20曲を歌いきるための練習 等々
子供たちは、ある時期からやらされているのではなくて、積極的に取り組むようになっていきます。これも意欲を、そしてやる気を引き出しているからなのです。教え込むだけなら、あれだけの舞台は創れません。
 平成22年の第7回泉の森のコンサートにお越し頂いた泉佐野市の前教育委員長の岡村親一郎先生から次のようなメール(Mon,18Jan2010)を頂きました。
(以下原文全てを引用)


驚いたことに、カナも漢字も充分に読めない子ども達の歌声から“歌の心”が伝わってきます。漢文の素読をやらされた時には感じることが出来なかった奥深い文意がいま甦るように、子ども達の内に潜む感性が巧みに引き出され想像以上に同時発達しているのでしょう。
 教育educationは、教えるでなく潜在能力を引き出すeduceが原意だと、改めて認識させられました。
 花篤孝子さんの美しいコロラチュラがよく響いて、快く聴かせてもらいました。有難うございました。

 

そうそう、平成20年の第5回泉の森のコンサートの後に頂いたメール(Tue,15Jan2008)にも、引き出すという文言がありました。(以下原文全てを引用)


安井先生、先日は楽しくも厳粛なコンサートを聴かせて頂き有難うございました。
子ども達の能力を限界まで引き出し得た関係者の教育力に頭が下がります。
子ども達も立派ですが、それ以上に先生方が称えられるべきでしょうね。
昨日の成人祭が余計に迫力なく感じました。
安松幼稚園児の元気が羨ましいです。


 日本の将来を思うとき、現在の日本の社会(多くの保護者や学校関係者を含め)が、子供の能力を過小評価し甘やかす傾向を残念に思っています。その中で安松幼稚園は、「教育とは、子供の周りから困難・障害を取り除くのではなくて、それらを乗り越えていく力をつけることである」と主張してきました。その主張も、教育の真髄は「子供に教える」のではなく「子供から引き出す」ことにあるという考えが根底にあります。
 以前、岡村先生に安松幼稚園新聞をお贈りしたところ、平成21年の第6回泉の森のコンサート後に、次のようなメール(Wed,28Jan2009)を頂いていましたので、併せて紹介しておきます。(以下原文全てを引用)

 

「安松幼稚園新聞」拝受しました。
昨年、教育委員会で拝見して以来ですが、先生初め園を取り巻く全ての方々の篤い思いが改めてひしひしと伝わって参ります。
 記事に観える「教育とは、子ども達から困難・障害を取り除くことではなくて、それらを乗り越えていく力をつけることである」は、将に名言で教育の本質を突いています。
 嘗て、文部省の健康啓発関係の委員会に数年間でていましたが「強い心と体をつくる」と言う一方で、役人は子どもを弱くする方向ばかり向いていて、会議が“白けた”ことが再三だったのを思い出します。


 皆さんのご多幸を念じます。
(文の一部に品格無き言葉があった事をお許し下さい。(笑)