理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成22年1月1日
理事長 安井俊明
混迷の日本・逝きし世の面影(No.1)

 新年 明けましておめでとうございます。
この1月16日(土)には、泉の森ホールで、第7回唱歌・童謡コンサートがあります。全国から、多くの方に鑑賞にお越しいただいています。
園児たちの直向な心と一生懸命な美しい歌声には、毎年泣かされます。
どうぞお楽しみに!!

 混迷の日本ではありますが、安松幼稚園の園児たちとの触れ合いでは、子供たちの優しさ・たくましさ・やる気・積極性などの精神の躍動と共に、運動能力の飛躍的な育ちが見られ、幼児期における確固たるしっかりした教育の重要さを、ますます感じさせられます。

 昨年末に、ある方から、日本の教育について何か指針となるものを書いてほしいという依頼があり、同時期に、小学校・中学校に子供を通わせているお母さんから相次いで相談がありました。
そこで、現時点における想いを、

No.1 混迷の日本・逝きし世の面影
No.2 混迷の日本・教育について考える    として、

2項にわけて、まとめてみました。
最後までお読みいただければ、とても嬉しいです。

 本年が、皆さまにとって、心豊かな年になることを念じております。

 

平成22年1月1日
学校法人真曜学園 安松幼稚園
理事長 安井 俊明


 教育は、国・社会・家庭で行われる。それ故、教育は一つの分野として独立しては在り得ず、過去の歴史をも含んだ現在の国・社会の影響をもろに受け、現在の家族のあり様とも深く関わる。
 現在の日本の状況は、混迷という字をあてはめる以外にない。
政治はポピュリズム(ここでは大衆迎合的な人気取り政策の意)に走り、首相の言辞も日により異なる。
地域社会全体で子供を育てる共通意識がなくなる一方、少子高齢化・核家族化は、各家庭における教育力を弱めた。
 この項は、日本の再生とそのための教育を論じることにある。
日本再生とそのための教育を論じるにあたり、

No.1

においては、混迷の日本・逝きし世の面影 と題して、日本の国の形・日本人としての人のあり様の変遷に想いを起こしたい。

No.2

においては、混迷の日本・教育について考える と題して、教育の再生について考えていきたい。


混迷の日本・逝きし世の面影(No.1)

 人間の生活総体を文明と呼ぶなら、江戸時代中期より現在に至るまで、日本人の文明(生活総体を形成する精神の有り様)には、2回の断絶がある。

(1) 江戸時代中期から引き継ぐ我々祖先の生活は、明治末期にその滅亡がほぼ確認されていたことは確実である。「逝きし世の面影【1】」という書物は渡辺京二氏による労作であり、そこに詳しく著されている。
江戸時代末期から明治中頃にかけて来日した多くの外国人は、日本の印象を、「貧民ですら衣服も住居も清潔である。人々はよく笑い、幸福で満足そうで、親切と礼節に満ちている。盗みも極めて少なく、下層の人でさえ、正直で物欲しくはなかった。」と述べている。

 参考までに、もう少し詳しく、江戸時代末期から明治中頃にかけて来日した多くの外国人の感想を「逝きし世の面影」から数点挙げておく。
・ 「人々の表情がみな落ち着いた満足を示し……不機嫌でむっつりした顔にはひとつとて出会わなかった。……日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。……話し合う時には冗談と笑いが興を添える。……日本人はおしなべて親切で愛想がよい。……民衆の調子のよさ、活気、軽妙さ、これはいったい何であろう。」P.61,62
・ 「善意に対する代価を受けとらぬのは、当時の庶民の倫理だったらしい。イザベラ・バードは、馬で東北地方を縦断するという壮挙を成し遂げる中で、しばしば民衆の無償の親切に出遭って感動した。……その日の旅程を終えて宿に着いたとき、馬の革帯が一つなくなっていた。『もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭か与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ。』」P.64
・ 「彼らはあまり欲もなく、いつも満足して喜んでさえおり、……このような庶民階級に至るまで、行儀は申し分ない。」P.68
・ 「平野は肥沃で耕され、山にはすばらしい手入れの行き届いた森林があり、……。住民は健康で、裕福で、働き者で元気がよく、そして温和である。」P.86
・ 「チェンバレンが、『日本には貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない』と言ったが、……衆目が認めた日本人の表情に浮ぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。」P.106
・ 「モースは滞在中、たえず財布の入ったポケットを抑えていたり、ベンチに置き忘れた洋傘をあきらめたりしないでいい国に住む幸せを味わい続けていた。『錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使は一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ……』……無人の店から持ち逃げする客がだれもいないというのは、彼にとって驚きだった。広島の旅館に泊まった時のことだが、この先の旅程を終えたらまたこの宿に戻ろうと思って、モースは時計と金をあずけた。女中はそれを盆にのせただけだった。不安になった彼は宿の主人に、ちゃんとどこかに保管しないのかと尋ねると、主人はここにおいても絶対に安全であり、うちには金庫などないと答えた。一週間後この宿に帰ってみると、『時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至る迄、私がそれ等を残して行った時と全く同様に、蓋のない盆の上にのっていた』のである。」P.131,132

 江戸時代中期から明治初期にかけての庶民の生活を満ち足りたものにしているのは、ある共同体に所属することによってもたらされる相互扶助にあった。そこからくる開放的な生活形態がもたらす近隣との強い親和にあった。
この文明が、明治末期には滅んだ。(注:文明と文化を区別下さい)

(2) 明治時代に上記の意味の共同体そのものが滅びたものの、明治・大正・昭和20年代から30年代の半ばごろまでは、国家意識が生まれ家族という概念は持続した。しかしその後、昭和30年代から現在にかけ、個人の過度なる尊重が家族(制度ではなく家族の存在そのもの)を崩壊させた。真の家族の尊重は、その構成員たる個々人をも尊重することになるにもかかわらず、家族を壊すことによりその構成員の個々人を疎かにする結果となった。
そのことを意図した現憲法の下、その憲法を制定した国の意図した通りに、現在の日本は至っている。
その国(米国)のあらゆることに反対しながら、その国が定めた憲法を死守するという支持者が、その矛盾に気付いていない所に、歴史の皮肉、悲劇いや喜劇がある。

それでは、以下、今の状況をどのようにして変えていくことが出来るのか(?)どうかについては、混迷の日本・教育について考える(No.2)で述べたく思います。
ぜひ続けてお読み下さい。

参考文献
【1】「逝きし世の面影」 著者 渡辺京二   発行所 葦書房有限会社

●補:
上述【1】の「逝きし世の面影」は、江戸時代中期から明治にかけての世の面影を描いたものですが、日本の2000年の歴史を分析したものとしては、私の講演『日本よ 元気を出そう!』平成14年6月16日を、お読み頂ければ幸いです。
この講演の概略は、安松幼稚園のH.P. の理事長エッセイH.17.1「日本よ 元気を出そう」
もしくは相愛同窓会のH.P. 講演「日本よ 元気を出そう」 に掲載されています。