理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成19年8月
理事長 安井俊明
人としての学び そして さわやかさ
 ―― 3歳児の子育てを通して ――

 本年も百十名ばかりの新入園児を迎えました。入園当初は、3割前後の子供たちが「お母さん、お母さん」と泣いていました。が、今年は園内に設置されている芽生え教室出身の園児が多くいたせいか、例年に比べて割りと早く落ち着きました。
 年によって多少の早い遅いはあっても、ご家族にとっては、「泣かずにうまく通園できるだろうか?」という不安は共通の問題だと思います。
 この6月に、3歳児年少りす組の初めての誕生会がありました。その翌日に、あるお母さんからお手紙を頂きました。それは2・3歳児にどのように接すればいいかという問題、いやそのレベルを超えて、あるアドバイスをもらった時に、そのアドバイスをどのように受け止めていけばいいかという、人間として生きていく姿勢に大いに参考となるものでした。
 以下、紹介します。

                ●芽生えでの思い出 そして今はこう変わりました

年少りす組 町谷ひとみ

 いつもお世話になり、ありがとうございます。
今日の誕生会、しっかり歌う陸の姿を見られて、本当に嬉しかったです。
 1年前安松幼稚園の芽生え教室に入った頃、毎回泣いていました。
園長先生に、「なぜ自分の子供だけ泣くのか? と、思うでしょう? それはお母さんが甘やかしたからですよ」と、言われました。
 全くその通りだと思いました。
子供の言いなりになってしまう一番質の悪い甘やかしをしていました。

 正直、芽生えから帰ってきては気がめいっていましたが、主人と何度も話をし、こんな子供に育てたのは自分達だし、子供を変える為には、まず自分たちが変わらないと!! と、思いました。
 それからはしっかり声かけをし、何でも子供にだけさせるのではなく、私達も一緒にして、物事の楽しさを伝えようとしてきたつもりです。
 芽生えでは、子供がどんなに泣いても、先生方はその場をごまかす甘い言葉をかけるのではなく、あえてしっかりと、子供の様子を見守っていて下さいました。
そして、少しでもいい所を探して誉めて下さいました。
それが本当に嬉しかったです。心の支えになりました。
そして、4月の入園式
泣かずに過ごせました。
 入園式だけでなく、それからは「もう年少さんになったから!!」と、元気に通い始めました。
4月末から連休をはさんで5月初めにかけては、涙する日もありましたが、今では、「陸、もう泣けへん。お母さん、見といてな!!」と、力強い言葉も聞けるようになりました。

誕生会や音楽会の練習を通して、音楽の楽しさも教わりました。

優しいお友達、元気なお友達、家ではたくさんのお友達の名前が出てきます。

もちろん、川口先生・田仲先生のお話もよく聞いています。

   

今日の誕生会、こうして、りす組のお友達や先生方にお祝いして頂いて、胸がいっぱいです。
 人前に出る事が大の苦手だった陸に、自信と勇気を与えて下さった川口先生・田仲先生、本当にありがとうございました。
 まだまだ力不足な親ですが、子供と一緒に色んな事を楽しんでいこうと思います。
今後ともよろしくお願いします。
P.S. 口でお伝えしようと思ったのですが、涙が出そうになるので、お手紙にさせて頂きました。スイマセン……[引用終わり]

●素晴らしいお母さん お父さんに乾杯

 お手紙を読んで、素敵だ・なんて素晴らしいお人柄なんだと思いました。
園長先生の直言を素直に受け止め、家族で色々と話され、それを真っ正直にお手紙に記されること、なかなか出来る事ではありません。
 町谷さんのところは、この春に、姉さんの萌ちゃんが卒園し、陸君は下の弟さんです。
陸君はお手紙にある通り、入園前の芽生え教室でよく泣いていました。
それは少子・核家族の現在、ある程度已むを得ない面があります。が、また一方、泣かない子も少なからずいます。
 そういう状況の中で、上記の園長先生の真正面からの指摘がありました。
お母さんと離れて泣く原因は多様で一概に論じられないところもありますが、お母さん(または家族)の甘やかしにある事が、圧倒的に多いのも事実です。
 誤解の無いように申し添えますが、それを非難しているのではなく、事実をお話しすると共に、少子・核家族の現在、ある程度已むを得ない面があると考えています。
 また園長先生の正面からの指摘も、どなたに対してもいきなりするのではなく、ある程度の信頼関係が築けた後か、または、緊急性のある場合です。町谷さんとは、お姉ちゃんの時からの信頼関係がベースにあった上でのお話です。
 今回のお手紙は、2・3歳児の子育てで注意するべき事柄と共に、誤りを指摘された時の人としての受け止め方という2点において、多くのお母さん方の参考になると思いましたので、掲載をお願いしました。気持ちよく承諾して頂いたことに感謝申し上げると共に、園長先生の直言を素直に受け止められた“人としてのさわやかさ”に敬意を表します。
そして最後に、入園後の陸君は、とても元気に幼稚園生活を楽しんでいることを申し添えます。
補:
 当園に入園されて、2年3年と経過すれば、多くの場合、園長先生をはじめとする先生方と保護者との間には深い信頼関係が芽生えます。
 それは表面上の仲よしのレベルではなく、深いところでの相互理解があるのだと嬉しく思っています。
「子供のためには率直に語ろう」
という園と保護者との信頼関係が、先ほどの町谷さんのお手紙となって表れていると思います。



 「人の直言をさわやかに受け止める」という人間としての学びについて記しているうちに、次の文も紹介したくなりました。私が岸和田高校に勤務していた時の国語科・星野先生の一文です。(昭和62年4月)
私が初めてこの稿を読んだときの感動の余韻が今も残っています。
どうぞお楽しみください。

達 人 の 話

星野 悌治


 私はかつて将棋に熱中したことがある。もう十数年も前のことだけれど、その頃行きつけの将棋クラブで小柄で無口な少年に将棋を教えたことがあった。少年に手ほどきをしたお父さんは二ヶ月程で歯が立たなくなり、近所のおじさん連中も適う者がいなくなったので、よろしくということであった。目のクリクリした無邪気な坊やというのがその当時の印象だった。ところが、一たん盤に向かうと彼は溢れるような意欲を示し、その対局態度はすばらしいものであった。対局中も局後も常に正座を通し黙々と駒を進めた。惜しいところで負けた時など涙が少年の眼に溢れることがあったが対局後の検討が済むとピョコンとお辞儀をして、「ありがとう」と言った。そんな彼が可愛くて、ついつい、自分が何年もかけて身につけたコツのようなものを教えたものだった。ことばにして一言か二言のことだけれど、彼は一瞬のうちに理解してしまった。普通の人なら、二、三年はかかるようなことをである。
 その後彼はプロの棋士をめざし、十数年たった現在A級八段として名人挑戦権を争うリーグ戦で大活躍をしている。相変わらず正座を通し、黙々と駒をすすめるのだという。プロ仲間では地蔵さんという愛称で親しまれているが、一たん盤に向かえば、相手にとってこの上もなく恐ろしいお地蔵さんなのだそうである。
 一言の中に多くの意味を感じとる彼の鋭い感受性は棋界の先輩達からもいろんな事を学んだに違いない。先輩達の費した膨大な時間の集積から生まれた精髄を彼は瞬時に吸収したのである。彼は将棋も強いが、それにも増して「教わり方」の達人であったのだ。
 先人の数年分を一瞬のうちに生きる快感とはどんなものであろうか。夏の夜空に走る電光のように、短いがヴォルテージに満ちたものなのであろうか。私は教師として、あの、瞬時の洞察力や、ついついコツを一生懸命教えさせられてしまう不思議な力が何処からくるのか知りたく思う。私は私なりに考えたことがあるのだけれど、生徒諸君、君たちはどう思いますか。よい考えがあったら教えてほしい。ひとつ協力して、あの達人のノウハウを会得しようではないか。それは何事にも通じそうだから。

(安松幼稚園新聞第53号より)