理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成26年1月1日
理事長 安井俊明
新 年 に 想 う
 ―― 日本人としての誇りと自信を取り戻そう ――

 新年明けまして おめでとうございます。
本年が、皆様にとって、心豊かな年になりますよう念じています。
また日本の子供たちの健やかな成長と共に、日本国の立ち直りを、皆さんと共に念じた
く思います。


年頭に当たり、まず日本の国柄について 二つの観点(①,②)を述べたく思います。

①わずか100年ちょっと前の日本人について
 以下、日本の国柄(日本の生活共同体の中で養われた倫理観)について
●江戸時代末から明治の初めに日本を訪れたイザベラ・バード(女性)は、馬で東北地方を縦断するという壮挙を成し遂げる中で、しばしば民衆の無償の親切に出遭って感動したと伝えられています。……

その日の旅程を終えて宿に着いたとき、荷物が一つなくなっていた。『もう暗くなっていたのに、案内人はそれを探しに一里も引き返し、私がいくらかの銭を与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ。』『善意に対する 代価を受けとらないのは、当時の庶民の倫理だったらしい。』と、信じられぬ想いを『彼らはあまり欲もなく、いつも満足して喜んでさえおり、……このような庶民階級に至るまで、行儀は申し分ない。』と述べている。



●大森貝塚の発見者として知られるモースは、盗難を恐れて、たえず財布の入ったポケットを抑えていたり、ベンチに置き忘れた洋傘をあきらめたりしないでいい国・日本に住む幸せを味わい続けていた。
『錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使は一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ……』……無人の店から持ち逃げする客がだれもいないというのは、彼にとって驚きだった。……『広島の旅館に泊まった時のことだが、この先の旅程を終えたら、またこの宿に戻ろうと思って、モースは時計と金をあずけた。女中はそれを盆にのせただけだった。不安になった彼は、宿の主人に、ちゃんとどこか

に保管しないのかと尋ねると、主人はここにおいても絶対に安全であり、うちには金庫などないと答えた。
一週間後この宿に帰ってみると、『時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至る迄、私がそれ等を残して行った時と全く同様に、蓋のない盆の上にのっていた』のである。

 私は、上記のような日本の国柄を誇りに思い、私達がそういう国柄を次の世代に伝えることこそ、今の日本にとって最も重要なことと考えています。
 上記は、「逝きし世の面影(渡辺京二著:葦書房)」からの引用ですが、この様な例が多く記され、開国以前の我が国・日本の文明のありかたを尋ねています。
また 理事長注エッセイ H.22.1.1 混迷の日本 も併せてお読み頂けると嬉しいです。