理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成18年1月
理事長 安井俊明
子育ての中で、何が一番基本となるのでしょうか
―― 人は、善悪の判定基準や生き甲斐などを
どのようにして身につけていくのでしょう

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は、子供たちから多くの感動をもらいました。私たちが子供を育てるというより、反対に子供たちから生きるエネルギーをもらっているようです。
本年も心豊かな年になるよう念じています。

またこの新春1月14日(土)には、第3回目の唱歌・童謡コンサートを、泉の森ホールで開催します。チケットを購入されている方は、どうぞお楽しみに!!

 新年にあたり、子育てについての数点の学説や、最近の大脳に関する研究などから、子育てにとって何が一番基本となるかについて、日頃の考えをまとめてみました。

【1】先ずは、刷り込みについて

● 現在では当たり前のように語られている『刷り込み』
『刷り込み』とは、鳥のヒナが卵の殻を破って初めて見た相手を親とみなして、その後をついて歩くという行動です。これを初めて“ソロモンの指輪”という本に著したのは、コンラート・ローレンツです。彼は、動物の行動の研究を行い、動物行動学(エソロジー)という領域を開拓した業績により、1973年、ノーベル生理学医学賞を受賞しました。
 誕生後すぐに、鳥のヒナが自分がどの種族に属しているかを知る、きわめて短期間の、しかもやり直しのきかない学習、それが『刷り込み』なのです。
そして私は、人間の子育てにも、乳幼児期に、このすり込みがあるのではないかということについて、この何十年、興味を持ち続けてきました。

補[1]

旧訳聖書に出てくるソロモン王は、魔法の指輪をはめることによって、獣・鳥・魚達と話し合う事が出来たといいます。
ローレンツが動物たちの飼育・観察・生活を共にすることによって動物達と語らいあった事を、ソロモン王の故事にちなんで、ソロモンの指輪と題して出版され50年以上経過した今日もその輝きを失っていません

補[2]

もう少し刷り込みについて(ソロモンの指輪より引用・要約)自宅でハイイロガンの卵をかえしたローレンツ博士は、殻を割って出てきた子供にじっと見つめられた。やがて子供は早口で挨拶を始めた。
さぁ、それからが大変。…ガンの母親がするとおりの世話で一日が暮れた…ガンの子は、博士の後をヒョロヒョロ追いかけて離れない。姿が見えないと大声で「ピープ、ピープ」と泣き出す。夜中もひっきりなしに「ビビビビ」と鳴く。「お母さん、どこよ?」という意味だそうだ。午前3時半またも「あなたはどこ?」私はブロークンなハイイロガン語でガガガと答え、電気ぶとんを軽くたたいた。マルティナ(ガンの雛の名前)は言った。「ビルルルルル:私はもう寝るわ、お休み」まもなく私は目をさまさないままで「ガガガ」ということを覚えた。

(引用・要約は以上)





 この強烈な刷り込みを初めて読んだ時、「それでは人の子は?」と興味をもたない方が不思議でしょう?


【2】人の子(赤ちゃん)にも刷り込みはあるのでしょうか

● もっとも上述のような劇的な刷り込みは、ガンやアヒルなどのある種の鳥類に観察されるものですが、おだやかな刷り込みは人間にもあると考えた方が自然のようです。
……誕生して、少しでも早く立ち上がって自分の足で歩き走れないと他の動物に襲われて生きていけないある種の生き物と、歩きだす事が出来るまでに約1年・日常生活でそこそこの言葉を獲得するまでに約3年・そして少なくとも10年ぐらいは大人の養護がないと生きていけない人間とでは、その刷り込み方や期間が相当に異なるとは思いますが…


● それではその期間はいつごろなのでしょうか?
 長年小児科医として活躍され、「母子の一体感」こそ子育ての原点だという育児論を提唱されている田代昌明先生は、生後6週間から6ヶ月という期間を、子供が生まれ育ってゆく段階で最も重要な時期で、動物行動学で言う刷り込みの時期に相当すると述べておられます。(以下先生のお話から引用・要約)
 人間と動物では違います。
動物の場合は、エサさえ与えれば間違いなく犬は犬として、スズメはスズメとしてその動物らしい習性を発現してゆくのですが、人間の場合は「お前は人間なのだぞ」ということを赤ちゃんの心に刻み付けないといけない。
それが無いとどうなるかと言いますと、オオカミに育てられた少女アマラやカマラのようになってしまう。インドのアマラやカマラは、生まれて6ヶ月も経たないうちにオオカミにさらわれ、9歳になってから人間社会に救出され、人間として再教育されましたが、この刷り込みの時期にオオカミとしての習性を刷り込まれてしまったから、いくら人間の言葉や立ち居振る舞いを教えても結局はダメだった。
 つまり、赤ちゃんには単に食べ物を与えるだけではなく、人間になるための心の栄養も欠かせない。その心の栄養こそ母と子の一体感なのです(終わり)


【3】ボウルビィによる 愛着 & 母子性養育の喪失 について

  ボウルビィは、母子関係の理論の大家で、英国の医師でした。
ボウルビィの学説の一部を、次に要約します。

● 生後6,7ヶ月になると、母親がいなくなると子供は不安になって泣き出すようになります。他の人がいくらあやしても泣き止みません。このような母親との特別な情緒的つながりを、愛着といいます。ボウルビィはこの愛着という概念に着目し、子供が人への基本的信頼関係を持つことにつながり、自我の形成や認知的発達の基盤となるものと主張しました。そしてこの愛着が個人のその後の対人関係に大きな影響を与える、つまり母親を安全基地として周りの人に対して適切な人間関係を……長くなるので略しますので後は御想像下さい
● ボウルビィは、十分な母子関係が得られなくなった子供の状態を、母子性養育の喪失(母性喪失)と呼びました。このような経験をした子供は、後々心身の発達に障害を残す可能性を示唆しました。
● 要するにボウルビィは、乳幼児の人格の正常な発達にとって母性的養護が不可欠であり、ことに生後1年間ないし3,4歳ぐらいまでの間に母性的な養護の喪失が長く続けば、幼児の性格ならびにその将来の生活全体に広い範囲での悪影響をもたらす可能性が高くなることを論じました。

補[3]

大戦後の戦災孤児や、ある理由で実の親から離され里親の家庭や施設での研究でした。特異なケースなので一般化出来ないという批判ありますが、【8】で私の考えを述べます。



【4】田代先生(小児科医・医学博士)の主張:母子一体感からすべて始まる



● すべては「母子一体感から始まる」と主張され、具体的に次の6点を挙げられています。(「子育てが危ない」から引用・要約)

  • 1.

    母が赤ちゃんに微笑みかけること

  • 2.

    赤ちゃんが母の乳首に吸いつき、その乳を飲むこと
    (栄養面だけでなく母子の心の相互関係が育つ)

  • 3.

    赤ちゃんが母にしがみつくこと(安心感)

  • 4.

    母の動きを赤ちゃんが追いかけようとすること
    (時間を覚えるきっかけとなりその後の知育の発達に大きな影響)

  • 5.

    母が赤ちゃんに話しかけること
    (言葉をつかう:人間と他の動物との違いは、言葉をつかうこと
    4で述べた時間の認識があること:抽象化概念化の出発のためにも母子一体感は欠かせない)

  • 6.

    赤ちゃんが母の顔を見つめること
    (自分と他との区別:6ヶ月頃になって人見知りが出てくると、刷り込みの時期が終わりになる)


この六つの行動を通して、母子一体感は作られていくのです。
この六つの要点をよく読んでみると、要するに抱き癖をつければこの6点を満たすことが出来る。誕生後のある期間は、しっかりと抱き癖をつけて、微笑みながら話しかければよいということで、昔からの育児法が理にかなっているということです。

● 善悪の判定基準もお母さんとの相互関係の中から育ってくる
 1,2歳頃の経験で、赤ちゃんがストーブや階段などの危険な場所に近づいたとき、お母さんが「危ない!」とか「ダメ」という大きな声を出します。こういう経験により、赤ちゃんは理屈抜きで、「これはしてもいいこと、悪いこと」を学んでいきます。この学びが最もスムーズにいくには、日常的に信頼関係があるということが必要で、まぁ、お母さんとなりましょうか。
 また2歳ごろには、お母さんに誉めて貰いたいという気持ちが出てきます。どなたにも経験があると思いますが、お母さんの為になりたいのです。つまり、お母さんが喜ぶことは善い事であり、お母さんが嫌がったり悲しんだりする事は悪い事だと思うようになる。つまり、善悪の判定基準というものがお母さんから与えられるわけです。
 そうなるとお母さんの日常生活における子供との会話が、非常に重要であることが分かります。

● 母子の一体感は生き甲斐というものとも繋がっている
 自分が存在することによって誰かが喜んでくれるとか、自分が生きているということだけで誰かのためになっているという人が一人でもいないと、人間には生き甲斐が生まれ、ものごとを積極的に肯定的にみることは困難です。
 子供からすれば、僕がいると本当に幸せだと思っている人、これがお母さんです。しかし、そうした感覚もお母さんとの一体感がないと生まれてこない。その意味で、生き甲斐ということも、実は母子一体感から始まっているのです。


【5】3歳児神話の否定と1998年版厚生白書 などなど

● 3歳児神話とは、「3歳までは、母親が子育てに専念すべきである」という主張で、少しきつく表現すると、「子供は3歳までは家庭で母親の手で養育しないと、子供の将来に悪影響が出る」となり、次の3点に要約されるようです。

  • 1.

    子供の成長にとって、乳幼児期が重要である

  • 2.

    この大切な時期は、母親の手で育てるのがいい

  • 3.

    母親が育てない場合、将来子供の発達に悪い影響を及ぼす

 

女性の就労を中心とした社会進出が目覚しい昨今、この3歳児神話が間違いであるという動きが多方面でなされ、その種の説も出されています。

補[4]

もっとも、育児は3歳までが大切ということは母子関係の理論で既に確立されているので、反対者自身で神話というレッテルを貼って、「3歳までの育児」を論議の埒外におこうとしているとの見方もあるようです。



● その中で拠り所の一つとなっているのが、1998年版厚生白書です。
平成10年版の厚生白書は、公的機関として初めて「3歳児神話」を否定し、大きな影響を与えました。そして0歳児から2歳児までの保育がどんどん広がりました。

 さらに保育サービスとして、少子化社会対策基本法(平成15年7月)の11条では「病児保育、低年齢児保育、休日保育、夜間保育、延長保育及び一時保育の充実」が、「…子どもがひとしく心身ともに健やかに育ち…」という前文に矛盾して(?)掲げられ、昨今では年末年始保育も現れました。

補[5]

ところが3歳児神話を否定した当時の厚生省の課長補佐の執筆が、全く個人的な動機であったということが最近明らかになっています。
(14年9月の保育界:15年5月の正論)

補[6]

以下、林道義先生(東京女子大学)のお話です。
乳幼児期の子供にとって母の愛情が必要だということは、世界中の非常に多くの研究によって証明されているし、心理療法家やカウンセラーの証言も数多く出されている。3歳までは母親の存在が大切だということは、十分に学問的な根拠が出されている。それを簡単に「合理的根拠がない」と言い切る厚生白書の書き手は、どれだけの勉強をしたのだろうか。
よくフェミニストの文章の中に、「3歳児神話が根拠のないことは、学問的に証明されている」などと書かれているので、私はさんざん探したが、根拠のないことを証明できている本やきちっとした論文を探しあてることは出来なかった。…
心の病になったり、犯罪を犯す「少年」の非常に多くが、母の愛情が不足して育った者であることは、犯罪少年の更生保護に携わっている人たち、学校の先生たち、カウンセラーたちの、誰もが日々経験し、訴えていることである。 
幼児の母親たちが、神話というようなごまかし言葉に迷わされないで、子供にとって最善の環境は、産んだ子供は自分で育てること、そして人間は、自分が産んだ子を他の鳥に育てさせるホトトギスではないことを…(私幼時報98.12)


さらに3歳児神話の否定は、菅原ますみ氏が平成13年に「子どもの問題行動は、母親の就労とは無関係」という調査結果を発表して、更に広まりました。

補[7]

その菅原氏でさえ次の危機感を抱いておられるそうです。
「保育時間の長時間化は、子供のストレスや疲労の増加をはじめとして発達に対する様々な影響はもちろんのこと、家族関係の発達や養育者自身の親としての発達にも大きな問題をもたらすことが予想され、無制限な延長の様相にとても危機感を感じてます」つまり「子供をどれだけ保育所に預けても発達には問題がない」とは菅原氏も言っていないのです。(15年5月の正論)

補[8]

日本と外国の子育て支援策を比較すると、一番の違いは、外国の場合は「養育者としての親を支援する」というところに最大の眼目があるのですが、日本の場合は「労働者としての親を支援する」「働く母親を支援する」ところにある。
日本の子育て支援とは名ばかりで、現在の対策は就労支援でしかない。
「しかし考えてみれば、世界中で、子育て支援をするために保育所の開所時間を長くして、長時間労働を支えるシステムを作ることを進めている国は他にないのではないか。多くの国は逆で、労働時間、特に男性の労働時間を短縮して家庭時間を多くする施策をとってきたのである。
オランダなどその明確な成功例であろう。わが国もそうするしかないことは分かってきている」(発達101号 汐見稔幸)
ですから皮肉をこめて言えば、上述の少子化社会対策基本法や次世代育成支援対策推進法においては、前文と具体的な施策の間に乖離が見られるようになってきただけ、前進したということなのでしょうか?


ちょっと横道へそれ過ぎました。本稿の目的は、現在の諸政策の批判にあるのではなく、子どもの育ちのありようについて考えることでした。
元に戻します。


【6】最近の脳の研究 遺伝子研究から いえること



● 東京大学医学部卒・上智大学名誉教授 福島章先生
(精神医学者、犯罪心理学、
精神鑑定)


人間は、脳が完成されずに誕生します。そして誕生後3・4・5年で、ほぼ完成されます。(DNAによる遺伝的な要素が、脳のすべてを決定するわけではありません。)
その3,4年のうちに、どういう情報・どういう環境を与えるかで、それぞれ異なる脳が出来上がります。環境的なもので、脳そのものの出来上がり方が変わってくるのです。例えば、シューベルトを聞かされて育った子・ハードロックを聞かされて育った子・親から話しかけられずにテレビで育った子は、それぞれ異なる脳に育つということです。
 先生は、生物学的な立場から、人間の育ちのあり様から、昨今の犯罪について様々に分析されています。

  • 例1:

    幼少期に、親の愛情に満たされたか

  • 例2:

    幼少期に、よい先生に出会ったか

  • 例3:

    幼少期に、きちっとしたしつけを受け、我慢する事などを学んでいるか

  • 例4:

    人間関係を学ぶ環境や、地域など周りとの関わり方は十分だったか

  • 例5:

    幼少期に虐待を受けたか

  • 例6:

    何らかのトラウマがあるか

  • 例7:

    その他


 それらは、私たちの子育てにも非常に参考になることが多くとても興味深いものです。

● 「父親も母親も同じ育児」は大間違い
 最近では、フェミニズム・男女共同参画社会基本法が成立してからはジェンダーフリーの影響が、子育てにも多く影響してきています。その中で出てきた「父親も母親も同じ育児」は大間違いの考えです。
もちろん父親も子育てに参加するのは当然のことですが、男も女も同じことを半分ずつしろという話は、育児の大原則からはずれてしまって、何もよいことはありません。
 お母さんが母乳を与えながら「この子は私の子どもだ」と確認し、赤ちゃんもお乳をもらいながら「私はこのお母さんの子供だ」と確認しているわけです。こうした相互作用が重要で、この時に母親の体内にはプロラクチンという乳腺刺激ホルモンが出ているのですが、これは別名愛情ホルモンともいわれ、このホルモンが母性愛の発生を加速するのです。もう子育てにおける母親の重要性・母子一体感の大切さは遺伝子レベルで証明されていることです。
それを、「そんなのは3歳児神話だ」という子供だましのお題目は通用しません。(日本政策研究センター刊「子育てが危ない」田代昌明から引用・要約)

【7】 いずれにしても「三つ子の魂百まで」は絶対の真理

いろんな説を紹介してきました。
【5】では、3歳児神話を次の3項目に分析しました。

  • 1.

    子供の成長にとって、乳幼児期が重要である

  • 2.

    この大切な時期は、母親の手で育てるのがいい

  • 3.

    母親が育てない場合、将来子供の発達に悪い影響を及ぼす


3歳児神話を否定される方の中にも、項目1.については否定されない方も、おられるようです。
 そして現在、育児は3歳までが非常に大事だということは、母子関係の理論・脳の研究・遺伝子の研究等々で、すでに確立されています。
2001年の「世界子供白書」には、はっきりと、「子供が3歳になるまでに脳の発達がほぼ完了する。子供の権利の保障は、子供の人生のスタートの時点で開始されなければいけない」と書かれ、何が子供の為になるかという、子供の視点に立つことの重要さを指摘しています。さらに「脳内の細胞の接合は、生後3年間に爆発的に増殖する」ということも詳述され、【6】の福島章先生の主張と合致しています。

補[9]

子供の権利と、父親の働くスタイル・お母さんの就労との兼ね合いを、どのようにマッチ(妥協)させるかということだと思います。

いずれにしても、日本の昔からのことわざ 「三つ子の魂百まで」は絶対の真理といえるようです。
広辞苑では「幼い頃の性質は老年まで変わらぬことのたとえ」とあり、【6】で述べた最近の脳の研究からいっても、「幼い頃の性質」の中に、「生まれつき備わっている要素」と、「幼年期までに色々な影響で形作られたもの」が含まれるようです。

【8】 不毛な 議論のための議論は止めにし 理論の本質を捉えよう

● 私は、田代先生の「母子一体感こそ子育ての原点」に賛成であり、【2】で述べたように、動物である人間にも、刷り込みはあり、それを完璧に無視するととんでもないしっぺ返しを受けると考えます。
● さらに私は、ボウルビィが「乳幼児期における母性的養育の長期的喪失が、子供の性格と子供の全生涯に深刻な影響を及ぼす。それはちょうど出産前における風疹や、乳幼児期におけるビタミンDの欠乏が、後に悪い影響をもたらすのと同じである」と論じた愛着論・母性喪失論は、女性の社会進出を阻止する神話ではなく、次世代への生命継承の真理だと考えています。
 そして最近の遺伝子の研究・脳の研究は、生後3年間の育児の重要性を明確にしました。

補[10]

前述のボウルビィは、「一人の女性による継続的養育の重要性」を指摘しています。
 3歳児神話を否定される方は、ボウルビィの主張をせまく理解した上で、ボウルビィを否定する傾向があるようです。
ボウルビィは母子関係の重要さを指摘しましたが、同時に、「乳幼児を時おり母親以外の誰かに世話をさせることに慣れさせることは、優れた方法である」とか「母親に代わって世話をする人の子供へのマザリング的接し方が、母親のやり方とあまり離れておらず、かつ連続して行われることが保障されるなら、子供に悪い影響はないだろう」とも述べています。


● 田代先生も、できれば3歳まで、特に生後6週間から6ヶ月までの間は、母子一体感が発生するには、産みの親でなくてもいいが「一人の女性による継続的養育の重要性」に賛同され、最初の6ヶ月の刷り込みの期間に、何らかの問題があった場合は、後でどれだけ愛情をかけても矯正できないと指摘されています。(そのことを感じさせられる事件が、最近数件起こっています)

補[11]

不毛な議論を避ける為に申しますが、0歳で保育所に預けた場合、必ず事件が起こると言っているのではありません。6ヶ月の刷り込みの期間に何らかの問題があった場合、後々の矯正が困難といっているだけで、家庭においても母子の一体感が育たない育児であれば同様に問題は起こります。
ただ保育所の場合は、数人の保母さんで養育しますので、子と養育者の一体感は発生しづらくなります。


● 私は、園児を見ていて、母親が傍にいなくても、「お母さんは私を愛してくれている」というお母さんとの精神的な繋がり・精神的な安定をきちっと維持できるのが、3歳以降だと感じ考えています。
 出きるなら3歳まで、そして少なくとも1歳までの間は、お母さんと赤ちゃんのかかわりが多ければ多いほどよいと、強く主張したい思いです。
 ただお母さんが仕事に就いても、お母さんが子供との一体感をと努力し、子供がそれを受け入れれば、ほとんどの場合は、問題は起こらない。
人間の育ちには、復元力があります。




補[12]

そもそも保育所の問題は、仕事か育児かという比較・選択の問題から出てくるわけで、これは本来性質が異なり比較選択できないものだと思います。女性が仕事を持ち社会進出することには大いに賛成です。
しかし仕事は労働ですが、育児は労働ではなく人生そのものだと思います。
社会が、例えば3年間の大幅な育児休業を認め、その後の職場復帰を歓迎する空気を育成することこそ、大切なことだと強く感じています。


長々と記してきましたが、子供がお母さんから(お父さんからも)、愛し愛されていると感じられる子育てこそが肝要だと思います。
上記の色々な方の説も最後はそこにたどり着くと思います。(「育児はもはや家庭での責任ではない」と主張される極端なフェミニストは除く)



補[13]

論理について、理科系の立場から

          ▼

ボウルビィを否定する方の中に、彼の研究は、戦後の施設での極限状態でなされたので、今の日本で一般化できないという主張がよくあります。しかしそれは誤りです。
論とは、理科の実験のように、純粋な条件を用意した上で論じられるべきなのですが、子供の育ちに関するものだけに、Aという条件では、Bという条件ではと、そういう実験をなかなか出来ないのです。
(特に日本では、医療関係の実験もなかなか困難です。1万人にAという条件で2年間生活した場合と、別の1万人にBという条件で2年間生活した場合を比較するなどという研究実験はほとんど実施不可能です。)
しかしp→qを主張するときは、pのみの条件を用意しなくてはなりません。その意味で、極限状態というのは、理論の構築には最善なのです。

【2】で述べたオオカミに育てられたインドのアマラやカマラの場合なども例外中の例外の極限状況であり、あの事例は、純粋な条件をわれわれに与えてくれました。
ボウルビィの研究も色々な要素が混じらなかったと考えられますので、オオカミのケースに近く、理論の構築にはむしろ適していたのです。



          ▼

ボウルビィの理論を否定するのに、数学でいう、元の命題 p→qに対して、逆 q→p や、裏 pでない→qでない の命題を用いるケースによく出会いました。この論理は、誤りです。
例えば、雪の色を議論するという前提で 雪→白い を真としましょう。
その逆 白い→雪 は誤りで、白いものは雪の他に沢山あるでしょう。
その裏 雪でない→白くない も誤りで、雪でないとしても白いものはあるので、これも誤りです。
その対偶 白くない→雪でない  だけが真となり、元の命題と同値となります。


最後までお読みいただいた方に心から感謝申し上げます。
平成18年が皆様にとって、よい年となりますことを念じ、新年の挨拶といたします。