理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成22年9月
理事長 安井俊明
教育には、適切な時期が大切
―― 先天的に備わっている能力も、それを開発し引き出す
環境と条件が与えられなければ、
眠ったままになってしまう ――

 前回と前々回の2点のエッセイは、子供から引き出す が、キーワードでした。
安松幼稚園では、教育の真髄は「子供の情操・やる気・諸能力を子供から引き出すことにある」 と考え、先生の熱い心からの子供への真剣な関わり(この中には子供へのユーモラスな話や子供を励まし誉めることも当然含まれます:念のため)から、子供の中に先生の一生懸命な心に応えようという気持ちが自然に芽生え、そこから色々なものが引き出されるという趣旨でした。
 本稿では、広く自然界に話を広げ、動物に当然備わっていると考えられる能力も、適切な時期に引き出される環境と条件がなければ、眠ったままになってしまうという事例から話を始めましょう。

★泳げないペンギン (元上野動物園園長「中川志郎の子育て論」エイデル研究所刊より引用)
 ある動物園でのことです。
ペンギンが泳げないのです。
実はこのペンギン、両親の折り合いが悪く、仕方なく飼育係が引き取って人工で育てあげたわけです。成長は順調で、9か月を過ぎるともう親と同じくらいの大きさになり、立派なペンギンに育ったのでした。
 しかし冷房室の小さなプールでは泳ぐのには適しませんし、人工保育ということもあって、そのまま2カ年ばかり泳ぐ機会がなかったのです。だからといって、ペンギンが水を恐がって泳げないなんて、誰が想像できたでしょうか?
 外のプールで何とか泳がせようとすると、死に物狂いで首を振り、飼育係に噛みついてきました……。
 たしかにペンギンという鳥には、泳ぐための体のつくりや能力は生まれつき備わっているのですが、実際の泳ぎは、その子供の時の環境の中に、能力を開発させる条件がなければ発揮できないものなのでしょう。
 この例は、子供と環境というものを考える上で象徴的な意味を持っているように思えます。(適切な時期に、子供の発達段階にあった条件・環境を意図的に準備するのが教育です)

★木に登れない猿 元上野動物園園長「中川志郎の子育て論」
エイデル研究所刊より引用)
 ある事情で人工保育で育てた猿も、離乳の時が過ぎ、サル山に帰る年齢になっても木に登れないのです。高い所にとまらせてやると、そこに必死になってしがみつき、キイキイと哀れな声を出して助けを求めます。そのままにしておくと、耐えきれなくなって枝からポトリと落ちてしまうのです。どうやら握力が足りないらしいのです。
 考えてみればニホンザルの子供は、生まれるとすぐに母親の胸に抱きつき、母親がかなり速く歩いても走っても、そのままの姿勢を続けています。子供達は母親に抱きつくことで、手足の握力が本来の機能を発揮できるよう鍛えられているのです。この教育があって、サルは木に登れるようになるのです。


★小鳥のさえずり (産経新聞 産経抄よりり引用)
 私達は四季を通じて小鳥のさえずりを耳にしているが、鳥の歌は人間の言語に似ている。鳥の歌の研究家・小西正一氏の「小鳥はなぜ歌うのか」によると、幼鳥を防音室に隔離して育てると異常な歌を歌うようになるという。
同じようにチイチイパッパとやっているようで、隔離された下で正常な歌を歌える鳥の種は一つもない。
 小鳥でも歌う能力は先天的に持ってはいるが、若鳥は成鳥から歌い方を習わないと歌えない。その時期に歌を聞かないと手遅れになるのだそうだ。

泳げないペンギン、木に登れないサル、さえずることが出来ない小鳥 の三例を挙げましたが、この事例の本質は、当然人間にもあてはまります。

★インドで狼に育てられた二人の女の子 (アマラとカマラ)
 発見された後、一人はまもなく亡くなりましたが、もう一人の女の子は最後まで人間の言葉を獲得できず、オオカミの遠吠えをその後も続けたという有名な話です。
 記録によると、乳児期に彼女らに刻み込まれた狼特有の特徴は人間社会に引き戻された後も、死ぬまで決して消えることはなかったのです。そして狼少女から人間への復帰は、まさしく彼女らにとって大変な苦痛と努力をしいましたが、時期を失した努力は効果が無かったのです。(この話の信憑性については多くの議論がなされましたが、彼女達を撮った写真も多く残っているとのことです。)






赤ちゃんから幼児期にかけて人間の言葉に触れていないと言葉の獲得は不可能ですし、逆に赤ちゃんから幼児期にかけて狼の習慣が周りにあれば、その習慣が身についてしまうという事例です。いかに幼児期の環境が大切であるかが解ります。

★言葉の獲得
 かなり以前に、親から全く声をかけられずテレビの前で育てられた子供が入園してきたことがあります。ほとんど話すことが出来ないのです。先生の言葉のシャワーのお陰で、2年間でかなりの回復をしましたが、年齢相当のレベルに達するには、非常な難しさがありました。(安松幼稚園新聞6号参照)
 赤ちゃんの誕生とともに、両親は愛情から赤ちゃんに語りかけます。赤ちゃんが言葉の意味を解らなくても語りかけます。両親はこれを言語教育とは意識していませんが、言語教育そのものです。この語りかけが無ければ、そして周りに言葉が飛び交っていなければ、子供が言葉を獲得出来ないのは厳然たる事実です。
 この両親からの無意識の語りかけによって赤ちゃんが言葉を獲得していく過程と、ニホンザルが誕生後お母さん猿のお腹につかまっての移動中に木に登る握力を獲得していく過程は、「先天的に備わっている能力も、それを開発し引き出す環境と条件が与えられなければ、眠ったままになってしまう」という真理の裏返しの意味において、全く同質です。

 以上の5例からの教訓は、教育には 時期 が大切 だということです。
すなわち、人間には初期発達の段階で「その時期」を逃すと、後天的に獲得が困難になってしまういくつかの形質があります。
・言語の分野 
・運動の分野 
・音楽や美術の分野 
・その他多くの分野

においても先程の例と同様に、人間の成長過程の適切な時期に、これらの能力を開発し引き出す環境・条件がなければ、眠ったままになり、開花しないことが多々あるのです。
 生まれてから2,3年の間は、家族との愛情による触れ合いが、それらの機会を自然に作っています。しかしこれから先は、子供達の色々な能力を開発し引き出していく環境や条件を意図的に作り出していく必要があります。この作業を受け持つ最初の学校が、幼稚園です。

 安松幼稚園では、この時期にこそ
・基本的な生活習慣   
・善悪のけじめ  
・周りに対する優しさなどの情感

・やる気満々の積極性  
・やる時はやる遊ぶ時は遊ぶのメリハリ
     等々

人間の骨太な所を育てたく思っています。
年齢が高くなれば学ぶことが容易になるというわけでは全くありません。
 子供を、泳げないペンギン、木に登れないサル、さえずることが出来ない小鳥にしないためにも!!  
 安松幼稚園が主張する 適切な時期に、子供の実態・発達段階にあった教育という意味は、正にここにあるのです。