理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成25年8月1日
理事長 安井俊明
安 松 幼 稚 園 の め ざ す も の

【 I 】 「何が子供にとって良いことなのか」と悩んでいる方へ
●年少のお母さんから、ある3学期末に、次のようなお手紙を頂きました。

 「私は、○○が物心ついた頃からずっと、子供をどのように育てるのが子供の将来にとって良いのだろうか」と悩んできました。
 ○○がまだ小さかった頃、私の子供への態度をみた祖父母から、甘やかしていると言われました。
巷では、子供を叱らずに自由にやらせることがいいように言われています。何が子供にとって良いことなのかと悩んできましたが、安松幼稚園に入園し、理事長先生や担任の先生のお話を聞くにつれ答えが見えてきました。
 先生方のように、愛情を持ちながら甘やかすことなく、凛とした姿勢で子育てが出来るよう努力していきたいと思います。」

●日常生活における具体例として、新聞の投書から2通を紹介します


この親にしてこの子と感動

男性 74歳

 雨上がりの午後の電車内の出来事だった。母親に伴われ頭にヘルメット、両膝両肘にサポーターをつけ松葉づえを使う、6,7歳の少年が乗り込んできた。身障者のようだった。中央部に着席した母親の手前で、つえの先がぬれた床で滑ったのか、少年が転び、大声で泣き出した。
乗客の 1人が抱き起こそうとしたとき、母親から「お願いです。構わないで下さい」さらに「泣いたって誰も起こさないわよ。それでは立てない、足はどうするの、つえを離して…」など、矢継ぎ早にしかり励ます声が飛んだ。乗客はかたずをのみ、視線が親子に向けられた。
少年が泣きながら苦闘の末やっとの思いで、つえを頼りに立ち上がった瞬間、母親はぬれ汚れた着衣もいとわず、しっかりと胸に抱き締めた。期せずして車内に拍手が湧き、会釈する母親はもちろんのこと、多くの人がこの情景に目を潤ませていた。
 ただ優しさと甘やかしだけで包み込む親たちが多い昨今、わが子のために厳しく心を鬼にして立ち向かう母親、そしてそれに応える子供。まさに、この親にしてこの子あり、最近にない感動を覚えた。


子供のしつけ 親が意識して

男性 28歳

 先日、ある病院の耳鼻科でのこと。4歳ぐらいの女の子が診察を終え、吸入器のある部屋で吸入しようとしていました。
看護婦さんがスタートボタンを押し、機械が動き出しましたが、女の子はなぜか不満げな顔でした。
隣にいた母親が女の子に尋ねると、「私が押したかったのに」と言うのです。看護婦さんは笑いながら「ごめんね」と言って立ち去りましたが、まだ不満な女の子に母親が「今度ね、次の時は押させてあげるから」と、何度も機嫌をとっていました。
見る人によっては、ほほえましいとも映る光景でしょう。でも私には、そうは映りませんでした。私には、母親のすべきことは機嫌をとることではなく、「『ありがとう』と言いなさい」と感謝することを教え、子供をしつける絶好の機会であると映りました。
あの女の子がそのまま大きくなれば、利己的で自分勝手で他人に感謝することも知らないわがままな人間になるのではないかと心配です。
 私ももうすぐ親になります。わが子だけでなく、近隣の子供にも目を配り、礼節を知る子供が1人でも多く育つよう、声をかけていきたいと思います。


 下が子供児童中心主義(子供の言いなりの教育、子供の機嫌をとりながらの教育)であり、上が安松幼稚園のめざす教育です。つまり「教育とは子供の周りから困難や障害を取り除くことではなくて、それらを乗り越えていく力をつけることである」そしてその為には「個々人の発達段階にあった負荷をかけることが必要であり、重要となってくる」のです。

 右が子供児童中心主義(子供の言いなりの教育、子供の機嫌をとりながらの教育)であり、左が安松幼稚園のめざす教育です。つまり「教育とは子供の周りから困難や障害を取り除くことではなくて、それらを乗り越えていく力をつけることである」そしてその為には「個々人の発達段階にあった負荷をかけることが必要であり、重要となってくる」のです。


【Ⅱ】 教育とは一つの型(基本)を次の世代に伝えること
――― 安松幼稚園がめざす教育 対 子供児童中心主義 ―――
 現在日本では、子供児童中心主義(子供の自由にしたいようにさせる教育、子供の言いなりの教育、子供の機嫌をとりながらの教育)が、幅をきかせています。
 強制は良くない、嫌なことは我慢してまでやらせなくてよい。子供の好きなようにさせることが個性の尊重であるとばかり、教育活動は、指導ではなく支援であるべきだという主張が広まり、先生は指導者ではなく支援者と呼ばれるようになりました。
そして、この考え方に汚染された多くの教師が生まれました。
競争させたり順位をつけることは悪であるという考えも、児童中心主義から出ています。
例えば100m競争でゴール前で立ち止まり、全員が手をつないでゴールする。
また学期の終わりなどに、通知表の評価で、全員オール5をつけたりするのも、児童中心主義が背景にあります。
生徒の目線でということで、多くの学校で教壇が取り払われたのも、子供児童中心主義からきています。


● それでは、安松幼稚園がめざす教育と、子供児童中心主義とを対比してみましょう

  • ★安松幼稚園の考える教育の本道
  •  
  • ★子供児童中心主義
  • 型、基本を大切に、時には強制も必要
  • 子供の自由にしたいようにさせる
  • 先生、親の凛とした姿勢(ユーモラスな会話やとことん抱きしめ誉めることも含む)
  • いかなる場合も、先生・親と子供は友達関係で同じ目線
  • 困難、障害を乗り越える力をつけたい
  • 子供がいやがることはさせず、子供の周りから困難・障害を取り去る
  • 先生と子供との真剣な関わり
  • はれ物にさわるような保護主義
  • 我慢し辛抱する経験も大切
  • 子供には我慢や辛抱をさせてはいけない
  • ちょっとした失敗の経験も必要
  • 失敗すると心に傷がつくのでさせてはならない
  • 相手のことを思いやる心を育てつつ適度な競争や切磋琢磨は必要
  • 競争は悪であり、一切させてはならない
  • 教育は指導
  • 教育は支援
  • 教え込みではなく、子供の発達段階を考え、子供との会話や触れ合いを通じ子供から引き出すことが大切
  • 子供から先生にはたらきかけるまで、何もせずに待っている


私は、子供には成功も失敗も経験させなくてはならないと思います。失敗して少し傷ついて、それに耐えることを通して、子供は「我慢力」というものを養い、物事に対する「耐性」を身につけていく。
子供中心主義・児童中心主義の「子供を傷つけない教育」のたどり着いた先が「ゆとり教育」。そしてそこから日本中の学校に荒廃が広がりました。
その結果、公立学校の小中学校の現状は、約半数が学級崩壊(学校崩壊)し、そこに至っていないまでも、学校や教室で “ものごとを学ぶ際”の凛とした空気は、ほとんどの小・中学校からは消えてしまいました。
子供の将来を思うとき、皆さんは、

個々人の発達段階にあった負荷をかけ、困難や障害を乗り越えていく力をつけていく方向を目指す

のか それとも

子供児童中心主義(子供の言いなりの教育、子供の機嫌をとりながらの教育)

の どちらの子育てを支持なさいますか。


【Ⅲ】 最後に 安松幼稚園のめざすものを まとめておきます
●安松幼稚園の考える教育の根本


①教育とは
子どもの周りから困難や障害を取り除くのではなくて
それらを乗り越えていく力をつけることである
②その為には
子供一人一人の発達段階にあった負荷をかけることが
必要であり重要となってくる


●子供の力を引き出すには


★教育の神髄は
「子どもに教えこむ」のではなく、「子どもから引き出す」ことにある
★先生の子供への本気で真剣な関わり そして 先生と子供との心からの触れ合い信頼関係が 子供の力を引き出すのである
★その際、子供を根気強く見守ることが大切で、
周りの大人がすぐに手を出してはいけない


●保護者からのお便り
 昨年(平成24年6月末)のお楽しみ音楽会の後に、年長桜組・高橋さんから頂いたお便りが、上記のことをズバッと指摘されていたので、紹介して、この稿を終わりとします。
 
……少し略……顔がぐちゃぐちゃになるくらい感動しました。
先生が真剣だから子供達も真剣!
先生が元気いっぱいだから子供達も元気いっぱい!
先生が笑顔だから子供達もニコニコ笑顔!
親と子の関係もそうですよね、改めて気付かされました。